GREEN*TEA WORKSHOP

静岡茶と松尾芭蕉2016.04.10

静岡茶と松尾芭蕉


 

静岡茶と江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644~1694年)には深い関係があります。

 

松尾芭蕉は、1684年8月から1685年4月にかけて、東海道~中山道~甲州街道を旅し、紀行文「野ざらし紀行」を残しています。

 

江戸を出発して、東海道を経由して故郷の伊賀上野に帰り、大垣・名古屋・京都などをめぐって、中山道と甲州街道を経由して江戸に戻ってくるという、長い長い旅でした。

 

往路の東海道では、小田原や駿河、遠江をとおっており、お茶の句を残しています。

 

馬に寝て 残夢月遠し 茶の畑

うまにねて  ざんむつきとおし  ちゃのけぶり 

 

静岡茶と松尾芭蕉

 

金谷の里で詠んだものです。

 

ここは地元民いちおし観光情報で紹介している「旧東海道 金谷坂の石畳」の隣にある看板です。

 

                  旧東海道 金谷坂の石畳とは

 

夜も明けやらぬ早朝に宿をたった芭蕉は、まだ目がさめきらず、馬の上でウトウトとうたた寝をしたようです。
と、馬が大きく揺れたのか、ハッと目が覚めました。

 

まぶたには、たったいま馬の背で見ていた夢が残っていて、遠くには有明の月が見えています。
旅路ならではの早朝の情景です。

 

するとそこへ、人々が起き出した民家から、朝のお茶を炊く煙が立ち上っているのが芭蕉の目に映りました。

朝、民家から煙が立ち上っていたら、「朝ご飯のしたく」を連想してもよさそうなものですが、「お茶を炊いている」と芭蕉が感じるほど、当時から静岡の金谷はお茶が盛んだったのですね。

 

きっと芭蕉は、東海道中でたくさんのお茶畑を見てきたんだと思います。
このとき民家で炊かれていたお茶は、ほうじ茶や番茶のようなものだったと思われます。

 

その後、江戸時代中期以降になって、茶葉を蒸すという製法が開発されて人気を集めました。
さらに時代が下り、昨今では、「深蒸し茶」が広く好まれるようになっています。

 

 

                          深蒸し茶とは

 

 

深蒸し茶

 

芭蕉が句に読むほどだった東海道のお茶の歴史や伝統、GREEN*TEA WORKSHOPが掲げている「長い歴史と伝統に培われた銘茶産地、静岡県・金谷」深蒸し茶をしっかり受け継ぎながら作って行きたいと思います。

 

 

 

 



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