GREEN*TEA WORKSHOP

金谷茶祭りに初参戦2016.04.11

栞も金谷茶祭りを見に来ました。

 

 

たくさんの人だかりで疲れてしまったのかほとんど寝ていました(^^;;

静岡県島田市のマスコットキャラクター「おしまちゃん」との3ショットは栞が警戒していてまともな写真がこれです。

 

 

おしまちゃん

 

 

栞珍しくカメラに目を合わせません。笑

本当は茶娘の格好もさせたかったんですが時間が合わず断念。

 

 

 

茶祭り 栞

 

 

こちらが唯一撮れたカメラ目線の一枚です。

2年後の茶祭りの時は茶娘の格好をしてパパのお仕事見ながらお手伝いしてくれるのかな?次の茶祭りの楽しみが増えました。

 

 

 

 

静岡茶と松尾芭蕉2016.04.10

静岡茶と松尾芭蕉


 

静岡茶と江戸時代の俳人、松尾芭蕉(1644~1694年)には深い関係があります。

 

松尾芭蕉は、1684年8月から1685年4月にかけて、東海道~中山道~甲州街道を旅し、紀行文「野ざらし紀行」を残しています。

 

江戸を出発して、東海道を経由して故郷の伊賀上野に帰り、大垣・名古屋・京都などをめぐって、中山道と甲州街道を経由して江戸に戻ってくるという、長い長い旅でした。

 

往路の東海道では、小田原や駿河、遠江をとおっており、お茶の句を残しています。

 

馬に寝て 残夢月遠し 茶の畑

うまにねて  ざんむつきとおし  ちゃのけぶり 

 

静岡茶と松尾芭蕉

 

金谷の里で詠んだものです。

 

ここは地元民いちおし観光情報で紹介している「旧東海道 金谷坂の石畳」の隣にある看板です。

 

                  旧東海道 金谷坂の石畳とは

 

夜も明けやらぬ早朝に宿をたった芭蕉は、まだ目がさめきらず、馬の上でウトウトとうたた寝をしたようです。
と、馬が大きく揺れたのか、ハッと目が覚めました。

 

まぶたには、たったいま馬の背で見ていた夢が残っていて、遠くには有明の月が見えています。
旅路ならではの早朝の情景です。

 

するとそこへ、人々が起き出した民家から、朝のお茶を炊く煙が立ち上っているのが芭蕉の目に映りました。

朝、民家から煙が立ち上っていたら、「朝ご飯のしたく」を連想してもよさそうなものですが、「お茶を炊いている」と芭蕉が感じるほど、当時から静岡の金谷はお茶が盛んだったのですね。

 

きっと芭蕉は、東海道中でたくさんのお茶畑を見てきたんだと思います。
このとき民家で炊かれていたお茶は、ほうじ茶や番茶のようなものだったと思われます。

 

その後、江戸時代中期以降になって、茶葉を蒸すという製法が開発されて人気を集めました。
さらに時代が下り、昨今では、「深蒸し茶」が広く好まれるようになっています。

 

 

                          深蒸し茶とは

 

 

深蒸し茶

 

芭蕉が句に読むほどだった東海道のお茶の歴史や伝統、GREEN*TEA WORKSHOPが掲げている「長い歴史と伝統に培われた銘茶産地、静岡県・金谷」深蒸し茶をしっかり受け継ぎながら作って行きたいと思います。

 

 

 

 


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